2007-05

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


陣内・紀香

昨日やってましたね、陣内・紀香の結婚披露宴。
我が家は毎朝日テレを見てるので、自然と情報が入ってきましたよ。
ちなみに、一応旦那をたてて「陣内・紀香」という順で書いた。

中でも印象的だったのが、陣内のサプライズ演出であるコブクロの「永遠にともに…」の弾き語り。
私も結構好きな曲だったし、一生懸命な陣内の姿に心を打たれてしまいました。

ああ、よかったなぁ。
と、目を潤ませながら私は、Iron MaidenのCDをかけてみた。
ギター三重奏は、最高だった。

スポンサーサイト

テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

携帯電話

携帯電話を機種変したのは、ちょうど3週間前。
リアルタイムでも何でもない話を何故するかというと、それは単に私が更新を忘れていたためである。

DoCoMoからauに乗り換えたのは3年近く前で、auになってからはこれで2台目。
つまり前の機種を3年弱使用したことになるのだが、これは私にとっては驚きである。

DoCoMo時代はまめにチェックし、同じ機種を1年以上使用したことがなかった。
ところがauはシステム上、使用年月が2年に満たないと料金がかなり割高になるので、「機種変癖」は自然となくなった。
と書いて気づいたのは、そんなに驚きでもなかったということだ。

しかし、3年という歳月の間に、時代は携帯電話に様々な機能を与えた。
もはやどれも変わらないような気がしたので、比較的安価で使いやすそうな機種を探した。
最新機種を追い求めたDoCoMo時代とは大違いである。

で、シャープのW41SHという機種を購入。
やや古い型だが、そんなものはおかまいなし。
機種代8000円くらいで、ポイントが7000円分くらいあるから、別売りの充電器とあわせても1750円だったのでかなりお買い得だといえる。

機種手渡しまでの45分間、実に暇だったけれど、店を出てすぐ目に入ったPRONTOで時間を潰すことにした。

まさか、というか、やっぱりそこにはビールがあった。
しかもプレミアムモルツ。
実はこの日、会社の最終面接だったので、どうしようかと困る、間など一切なくビールを注文。

30分後のお会計は1800円也。
待ち時間の方がお金かかった自分は阿呆であるな、と今日も思う。
携帯は、結構使いやすかった。

テーマ:なんだかなぁ~ (ー_ー;)ウ~ン - ジャンル:日記

青春時代の人

ZARDの坂井泉水さんが亡くなった。

ふと目にしたニュースに我が目を疑った。
「坂井泉水転落死」
橋本真也の訃報を聞いて以来の、力の抜けるような震えを感じた。

ヒット曲「負けないで」を毎日のように聞いていたのは、小学6年生の頃。
ドラマ「白鳥麗子でございます」の主題歌だった。
中学受験を終えて束縛から解き放たれ、思う存分ドラマを眺めていたのを思い出す。

ZARDの全盛期と我々の青春時代は、ちょうど一致する。
私はそんなに聞かなかったけれど、それでも曲を耳にすれば中学高校時代を思い出す。
カラオケでもよく聞いた。

初期パンにのめり込んでいた頃、J-POPなどもはや手もつけなかったのに、急にZARDが聞きたくなり、ベストを2枚購入したこともある。
もちろん、今でも家にあるし、聞くこともある。

ZARDの歌は嫌味がないし、媚びていない。
外れがないな、と思えるのは、そこら辺に要因があるのかもしれない。

悲しいけれど、度々我々の心を癒してくれた。
ありがとう。
今私が一番言いたいのは、この言葉である。

テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

就職活動報告記-後編-

3月中旬、私は常に落ち着かない状態だった。
その月の最終週には学会、面接が控えており、おまけに第一志望のD社からは書類選考の連絡が一月以上ない。

とりあえず、D社に連絡を取ってみた。
すると、

ご質問の件ですが、博士課程の方はその専門性と弊社の技術分野とのマッチングを重視しております。
そのため通常よりエントリーシートの内容を吟味する時間がかかってしまっております。
たいへんお待たせしており、誠に申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちいただけますでしょうか?


との返事が。

やはりここでもマッチングが鍵となるのだなぁ、と思った。
ちなみに、3月末に受けた面接でもマッチングを指摘され、結果落ちた。

その少し後、D社から書類選考通過の連絡が来た。
2週間後に一次選考を受けることになった。

さすがに対策は考えた。
特にマッチングに関してはきちんと答えられるよう準備をしたつもりだ。

しかし、いざ面接が始まると、どうにも会話が噛み合わない。
1つ1つ誤解を解くのに精一杯で、うまく思いが伝えられない。
肝心のマッチングについても、誤解を与えたまま話が進んでいく。
結局、不完全燃焼のまま終了した。

実は面接の直前、「担当がどうしてもはずせない用事ができたので、1週間後に延期させてもらいたい」との連絡が入っていた。
1週間待たされ、誤解を与え、満足に思いも伝えられなかった、と考えると、どうしようもない気持ちになった。
ただ不思議と、ネガティブになることはなかった。

それから3日後、電話を取ると、何とD社選考通過の連絡が来た。
喜びとクエスチョンマークでいっぱいになっていたが、待てよ。
これは最終面接までやって、総合的に判断するのかもしれない。
だとしたら、もしかしたら今首の皮一枚つながっているだけで、いつ落ちてもおかしくないのかも、と思った。

とにかく、あと残りの選考をしっかりとこなすだけだ。
そういう気持ちのおかげか、異様なくらい落ち着いて最終選考まで終えることができた。

選考を終えたのが5月の中旬。
この頃になるとリクナビからのメールも減り出し、他社の選考もほとんど落ちていた。
「もしD社が落ちたら」と考えればきりがない。

祈るように待っていたが、その週の金曜を終えても、連絡は来なかった。
おそらくは次の週になるのだろう。

が、土曜日。
これから友人と飲みに行こう、としていた18時前、見たことのある番号から電話が入った。

内々定。

これで、私の就活は終わった。
うれしいとかほっとしたという気持ちは意外にも少なく、正直「これが就活なんだぁ」という感じである。

って、あまり参考にはならないエピソードばかりだっただろうか。
結局最終選考まで進めたのはこのD社だけであったし。

ただ、第一志望がきちんとあったのは大きかったかもしれない。
うちの父曰く、本気でその企業に行きたいかどうかは、目を見ただけで面接官は分かるそうだ。

あと、とにかく自分を信じること、と言いたい。

私が受けたのは、ほとんどが大企業である。
しかし、大企業だからといって、必ずしも全てが優れているとは限らない。

誰もが聞いたことのある企業でも、連絡がずさんだったりする。
まぁ優れた応対を基準に考えてしまっている可能性もあるが。

売り手市場と言われた今年度だったけれど、博士課程の私としては、とても楽とは思えなかった。
だからあまり企業に変な期待をせず、冷静に状況を受け止めることが大事なのだと思う。

最後に、「就活よりも入ってからの方が重要だ」みたいなことを言う人へ



就職決まらなかったら、会社入ってがんばることなんてできませんから!

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

就職活動報告記-前編-

先々週、無事内々定をいただくことができた。
ここにその体験を綴ってみようと思う。
同じ博士課程の学生の参考になれば幸いである。


私は、博士課程に在籍しているが、一部の企業を除き、基本的には学部や修士課程の学生と同様に活動を行う。
リクナビに登録(→企業セミナーや説明会に参加→書類提出)→諸面接が一般的な流れではないだろうか。
括弧の部分は、企業によって順番が異なったりすることを表している。

私が現在行っている研究は、広く言えばエレクトロニクス関係である。
ただ、基礎研究であるため、企業の事業内容とはかけ離れている場合がほとんどである。
したがって、エレクトロニクスと名のつく所は手広く押さえていくことにした。

で、あれやこれやとリクナビを調べ、ブックマークをしていき、気づいたら120件。
あまりに多すぎて、収集がつかなくなってしまった。
阿呆である。

そんなこんなで四苦八苦していたが、第一志望はあっさり決まった。
10月に参加した合同企業セミナーで、一番最初に目についたD社である。
企業名を聞いただけではとても想像がつかないような事業内容の幅広さに感銘を受け、興味を抱いた。
時期も時期なので、「暫定第一志望」ではあったが、これで何となく方向性が決められたように思う。

それからというもの、のらりくらりと企業を回ったりした。
他の人に比べればその数は圧倒的に少なかったのだろうが、ただD社に関するイベントはかなり行った。
これは単なる情報収集だけでなく、モチベーションの維持する上でも有用であった。

2月頃から、面接が始まった。
ただ、ここからがやはり辛かった。
書類や一次選考はわりかし通るのだが、たいていその次のステップでつまづくのだ。

理由は、おそらくマッチング。

今我々は20代後半。
学部から入った人間とは、すでに5年ほど社会人経験の差がある。
博士課程までいくと、即戦力になれるかどうかがシビアに追求されるので、圧倒的に不利なのだ。

大学の入学試験などは、たくさん勉強すればそれだけよい結果に結びつくけれど、この場合はそうではない。
何をすれば事態が好転するかが分からないのが、何より辛かった。

そんな中、D社は書類を送ったきり返事がない。
2月の頭に送り、3月の半ばまで一切の返事がないのだ。


すんません。
何か長くなってしまったので、続きは次回。
ホント、文章をまとめる才能がなくて嫌になる。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

お別れ

新潟駅へ着いた我々家族は、そのままタクシーに乗り込み斎場へ。
しばらくして喪主であるおじいちゃんの一家と合流し、準備を始めた。

来場された人一人一人に挨拶するのだけれども、ほとんどの人は初対面か、物心つく前に会ったことがある人ばかり。
はっきり言って、何をしゃべっていいのか分からない。

肝心の母はというと、懐かしい再会でいろいろと話し込んだりしているようだ。
おばさんとは、目を合わすこともないけれど。
私にとっては、やや苦痛な時間であった。

そうこうしている内にお通夜が始まった。
おばあちゃんとのお別れの時間だ。

遺影をじっと見つめていると、淡く青みがかった背景から、おばあちゃんが飛び出してくるように感じられた。
寝たきりになって、20年。

辛かったことだろう。
悲しいけれど、どこかほっとした気持ちもある。

しばらく会ってなくてごめんね
おつかれさま
就職決まったんだよ
ありがとう

飛び出してきたおばあちゃんに、そう話しかけた。

その後、お棺に入ったおばあちゃんにあいさつをした。
死んだ人を、生まれて初めて見た。
うまく装飾されているとはいえ、お棺に入ったおばあちゃんはどこか安心しているように見えた。

翌日、火葬と納骨に立ち会うこととなった。
これも初めての体験だ。

お骨に変わったおばあちゃんと再会するのは、はっきり言って辛い。
けれど、きちんと説明できないけれど、行かなくてはいけないような気がした。

1つの命の終わりを見届け、命の尊さを知る。
だから、おばあちゃんの死を悲しいだけで終わらせたくない。
骨壷にお骨を移しながら、そんなことを考えていた。

おばあちゃんにとって、どんな人生だったのかな。
特に最後は辛いばっかりだったろうけど、でもこんなに多くの人がおばあちゃんのお別れに来てくれたよ。
おかげで、いろんな人とお酒を飲みながらお話しできたし。

新幹線に乗ってすぐ、喫煙席でもないのに一瞬見えた、不自然な「もや」。
まさか、新幹線までついてきたのかな。
ま、いっか。

おつかれさまでした。
ゆっくり休んでくださいね。

新潟へ

おばあちゃんが亡くなった知らせを受けて2日後の月曜、我々は新潟へと向かった。
約15年ぶりくらいになる。

というのにも実は訳がある。
おばあちゃんの娘、つまり私の母親姉妹の仲がよろしくないのだ。

うちの母も変わり者だが、母の姉であるおばさんはもっと変わり者だ。
とても明るくておもしろい人なのだが、いかんせん自分勝手すぎる。

妊娠中に服用した薬の影響で、おばさんの長女は障害者として生まれた。
その人は、20歳前に亡くなってしまった。
その少し前に、おばあちゃんは寝たきりになった。
長女やおばあちゃんの世話をおじいちゃんに押し付け、もちろんおじいちゃんの世話もせず、おばさんは好き勝手やっていた。

その他諸々の事情を含め、おばさんを許せない、というのが母の主張。
気持ちは分かる。
ただ、そうはいっても東京から新潟へ15年もの間帰らなかったのも事実。
「世話をほっといて」と声を大にして言えないのではないか、と私は思う。

別にそのことについて何とも思っていないし、母の言い分を聞いておばさんを嫌いになるつもりもない。
けれど、新潟へ向かうのはさすがに気が重かった。

ともかく、仏さんの前でみっともない真似だけはしないでくれ。
新幹線から見える田畑が、実にきれいだ。

テーマ:いま想うこと - ジャンル:日記

母の日

就職が決まり、祖母が亡くなった翌日の日曜日。
月曜から新潟へ向かうことになったので、我が家は何かと慌しい。
喪服の準備や移動経路の確認で、せっかちな母は特に忙しそうだった。

ところでこの日は、母の日だ。
昨年からお花のプレゼントを始めたので、今年も準備したいのだが、何とも悩ましい。

そう、翌日から我々は家を空けるのだ。
それに、いかにも母の日らしくしてしまうと、母がよりしんみりしてしまいそうな気がして。
そういった理由から、お花はやめることにした。

私は、変なところで几帳面だ。
今度は、母の日と父の日のプレゼントが釣り合うにはどうすればよいかを考え始めた。
両者が釣り合わないのが、どうしても許せないたちなのである。

あれやこれやと悩んだ結果、母の大好きな猫の本をプレゼントした。
渡した時は忙しそうで素っ気無かったけれど、ちょっとしてから満面の笑みに包まれていた。

あと1日もすれば、より悲しみを実感することだろう。
それまでの間、少しでも明るくいれますようにと、ささやかに願っていた。

テーマ:ちょっとした出来事 - ジャンル:日記

怒涛の週末

いろいろと、報告事がございます。
おそらく、今書きたいことを全て書くと、かなりの長文になってしまうでしょう。
なので、小分けにしていきたいと思います。


ここのところ触れていなかったけれど、実は5月になっても就職活動を続けていた。
受けては落ち受けては落ちを適当に繰り返しながらも、本命企業は運良く最終選考まで残り、その最終がちょうど1週間前。
で、先週末に無事内々定の連絡が来た。
本命なので、すなわちこの企業へ行くことがほぼ決まったということだ。

この日は土曜日だったので、連絡は来ないと思っていた。
やや意表はつかれたけれど、うれしいことには違いない。
このすぐ後飲み会の予定があったので、今のうちにと家にそのことを連絡した。

約30分後、携帯が震える。
きっと喜んでいるだろうと思い見てみると、「おめでとう」の下に、

ところで、新潟のおばあちゃんが重体だとのことです。また詳しいことが分かったら連絡します。


それから30分後、おばあちゃんが亡くなったとの連絡が入った。

新潟は、うちの母親の方の実家だ。
それまで、両親の両親、つまり私の祖父母は健在だった。

初めて経験する祖母の死。
もう15年近くあっていなかったから、正直そうすぐには実感が沸かなかったけれど、どこか心に空洞ができたような心境だ。

家に帰り、今後のことがいろいろと頭によぎったが、まず母を気遣った。
たいしたことは言えないから、とにかく明るく振舞おうとだけ心掛けた。

私の就職が決まるまで、おばあちゃんは待っていてくれたのかな。
都合のいい考えかもしれないけれど、今はそう思えて仕方がない。

テーマ:つぶやき - ジャンル:日記

先輩、お疲れ様でした

今週の始め、大関栃東関が引退を表明した。
スポーツニュースはもちろん、それ以外のコーナーでも取り上げられたりしていた。

栃東関は、私の中高の先輩にあたる。
当時より、人柄も良く、友人も多かったそうだ。
もちろん話したことはないけれど、地元も近いため、何度か見かけたことはあった。

これまでで、一番応援した力士だったけれど、病気では仕方がない。
いや、「怪我だったらまた頑張っていた」と言っていたけれど、もはや体はぼろぼろだったはず。
まだ若いけれど、十分すぎるほど体を張ってきたのではないだろうか。

お疲れ様でした。



どうでもいいけど、ファンでも何でもない辻ちゃんの結婚がこんなにもショックなのはなぜだろう・・・。

テーマ:ひとりごと - ジャンル:日記

«  | HOME |  »

プロフィール

大学院博士課程を経て民間企業に在籍中。
この4月で29歳になりました。

鯉蔵

Author:鯉蔵
*mail and messenger↓
koizo-@ hotmail.co.jp
お手数ですが、@の後ろのスペースを削除して送信してください。

カレンダー

04 | 2007/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。